パク・ヘヨン作品に惹かれる理由
書いた人:志野
韓国ドラマには、いろいろなジャンルがありますよね。
私は気楽に見られるラブコメも好きですが、少し大人で、深い味わいのあるヒューマンドラマも好きです。
そのなかでも、私が特に素晴らしいと思っているのが、脚本家パク・ヘヨンさんの作品です。
今回、パク・ヘヨンさんの新作『誰だって無価値な自分と闘っている(2026)』を見たのですが、改めて、本当に素晴らしい作家さんだなぁと感じました。
パク・ヘヨンさんの過去作である『私の解放日誌(2022)』や『マイ・ディア・ミスター 〜私のおじさん〜(2018)』も、本当に素晴らしかったです。
見終わったあとの余韻がすごくて、しばらく仕事も手につかないくらいでした(笑)
それにしても、私はパク・ヘヨンさんの作品のどこに惹かれているのだろう、と考えてみました。
たぶん、日々の中で私がうっすら感じているモヤモヤや違和感、葛藤を、言葉にして、映像にしてくれているところなのだと思います。
普通の人が持っている感覚。
誰もが心のどこかで抱えているけれど、うまく言葉にできない気持ち。
そういうものを丁寧にすくい上げて、「それも美しいものなんだ」と気づかせてくれる。
日常の中にある美しさを拾い上げる力、と言えばいいのでしょうか。
でも、パク・ヘヨンさんの作品は、ただ日常を美しく描くだけではないところも魅力だと思います。
人間の器の小ささや、ずるさ、情けなさのようなものも、きれいごとにせず、そのまま描いてしまう。
そこには少し、容赦のなさのようなものも感じます。
見ていて「うわ、嫌だな」と思うこともあるし、腹が立つこともある。
でも、不思議とその人を完全には嫌いになれないんです。
たぶんそれは、登場人物たちが特別に悪い人間として描かれているのではなく、誰の中にもある弱さや小ささとして描かれているからなのだと思います。
美しさだけではなく、みっともなさも、ずるさも、寂しさも含めて人間を描く。
そのまなざしの深さに、私は強く惹かれているのかもしれません。
そういう感性が、私の心に深く響きます。
自分の中にも、感受性のようなものはある。
でも、それを言葉にしたり、形にしたりするのはなかなか難しい。
だからこそ、パク・ヘヨンさんの作品を見ると、
「素敵なドラマにしてくれてありがとう」
「言葉にしてくれてありがとう」
という気持ちになります。